熊本県倫理法人会

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9月09

【水俣芦北】9/8MS;中嶋憲正・前山鹿市長が講話

令和3/9/8(水)熊本県 水俣芦北倫理法人会 モーニングセミナー

9月8日、水俣芦北倫理法人会のモーニングセミナーでは、山鹿市倫理法人会 中嶋憲正・監査(中嶋農産代表)を講師にお迎えして講話を予定していましたが、高速で人吉方面への道に入られたため、時間に間に合わないというハプニングが起こりました。吉井和久・当会会長が、予定を変更して役職者が新年度の抱負を述べる時間になりました。そのあと中嶋憲正・監査が遅れて入室され、「これまでの人生を振り返って思うこと、そして今」をテーマに約10分間講話を行いました。短い時間でしたが、要点がまとめられており、情熱的に語って下さり、とても元気をいただきました。以下は、講話の要旨です。

大失態を演じました。これが私のありのままの姿です。お詫びだけでもしなくてはと思ってきたところです。

私は小さいころから虚弱体質で体が弱く、内向的で、歌もスポーツも人付き合いも下手で、非常に心配していました。高校を卒業して、青年活動に入りましたが、それが良かったです。何も知らないうぶな私を、仲間がいろいろ指導してくれました。

また、高校時代にバスケットボールをしていました。その時は体力がなくて苦しかったのですが、青年時代に役に立ちました。マラソン大会で優勝したり、郡大会で区間賞を取ったりしたので、それがきっかけで自信になりました。地元の青年活動やPTA活動、農協の青年活動をさせていただき、社会性を養ってきました。

私が35歳のときに父が亡くなり衝撃を受けました。父は養鶏の仕事をしていて、農業組合法人の中心的な役をしていましたので、存続しなくなるのではないかと言われました。当時の私は、養豚の仕事をしており1000頭の豚を飼っていましたが、混迷した状況の大変さに向かっていこうと決意し、養鶏場に10年間常駐して乗り越えることができました。

地元中学校のPTA会長をしているとき、その中学校が熊本県下で一番荒れた学校になり、恥ずかしくなりました。危機感を感じた私は仲間とともに町長選挙に挑戦し当選させていただきました。教育が大切だと思い、教育委員にはこの人と思われる人に依頼をしました。「学校が悪い」「地域が悪い」「家庭が悪い」と人の責任にする人が多い中で、「人の責任にしてはいけない」と話して、挨拶運動を提唱して、子供たちに声をかける取り組みをしました。すると1年半で学校が見違えるようになり功を奏しました。

鹿本町が山鹿市と合併するとき、市長選に出ることになりました。合併協議会では、親しい方が合併後は県から連れてきた人を無投票で市長にするという話でしたので、「新しい市が出来る時は地元の人が引くのは良くない。たとえ死んでも気持ちだけは生きていたい」との思いで、若い方たちに思いを伝えて当選させていただきました。大変な戦いをなして困難を乗り越えました。

このようにして、私は困難が新たな可能性を切り開いてきた体験をしました。70年間生きて来て、「苦難福門」という言葉がありますが、「困難な時に幸福が来る」と確信します。好きなことがうまくなります。政治が好きになり、地域が好きになり、人を好きになって力をいただくことができます。下手な自分が生き延びるコツは、「一生懸命やること、誠心誠意やること、信頼して任せる事、そして感謝すること」です。

70歳になり、市長を退任しました。原点に帰り農業を始めました。汗だくだくで厳しいです。73kgあった体重が61.5kgに減りました。青年のころの体重に戻り、青年の心を蘇らせてくれました。どれだけできるかわかりませんが、今新しい目標に向かって、誠心誠意取り組んでいます。小さなことに取り組み、積み重ねることが、とんでもないところにいくただ一つの道です。

本日は、たいへん申し訳ありませんでした。すみません。