「私を支えた妻の一言」テーマに、矢加部尚武・法人レクチャラーが講話
2/11/18(水)熊本県 水俣芦北倫理法人会 モーニングセミナー
11月18日、水俣芦北倫理法人会のモーニングセミナーでは、法人レクチャラー、福岡県倫理法人会の矢加部尚武氏(普及拡大副委員長(株)三和不燃ボード工業 代表取締役)が、「私を支えた妻の一言」をテーマに講演されました。以下は、講演の要旨です。
私は、2001年2月筑後倫理法人会に入会しました。きっかけは、「職場の教養」との出会いです。知り合いの会社の「職場の教養」を使った朝礼を見て、これがほしくて入会しました。会社の朝礼で活用してみると、社員さんが前向きの感想を言うようになり、一人一人の気持ちが見えるようになりました。それまで社員さんの気持ちがほとんど分かっていなかったことに気づきました。それから、退職する人がいなくなりました。
1993年9月専務取締役に就任したころは、バブル崩壊のただ中で国内で商品が売れなくなり、海外へ目を向けるようになりました。台湾に進出してしばらくは業績は上がりましたが、またそこでも価格競争が行われ、きびしくなりました。しかし、中国に工場を建設して生産し、日本で販売することにしました。サンプルはすばらしい商品だったので、すぐに採用されて喜ばれました。
この時は、家内にも相談せずに独断で進めました。倫理的にはこれが心の間違いだったのです。しかし、売上も上昇し、成功したと思いましたが、半年したくらいからクレームが出るようになりました。だんだん資金繰りが苦しくなり倒産の危機に陥りました。
当時、筑後倫理法人会の会長をしており、「職場の教養」1月号の表紙に、当社を掲載したいので取材したいとの要請がきました。私は、2月には倒産するのではないか思っていたので、1月号に掲載されても迷惑がかかると思いお断りしましたが、藤崎部長(当時)は、「先の事はわかりませんよ、やってみなさい」と倫理指導を受け、1月号にわが社の記事が、<すべてはうまくいっている>というスローガンのもと、みんなの笑顔の写真が掲載されました。私は、顔でニコニコ笑ってましたが心で泣いていました。
2008年1月の売上は半分になり2月の資金繰りは最悪で、うつ(鬱病)状態になっていました。支払いまであと10日というときに、清川百子先生に倫理指導を受けましたが、「頑張ってね」とだけ言われました。
2日前の23日に、やっとそのことを妻に話しました。妻は、うつ状態の私を見ながら、いつも明るくふるまってくれていました。その時、妻は、「お父さん!これ乗り越えたら、凄いね。これを乗り越えたら、法人レクチャラーのネタになるじゃない!」と言いました。私は、それを聞いて、「ワッハッハー」と1か月ぶりに大笑いしました。妻も笑ってくれました。
それから、私の気持ちがすっかり変化しました。もし事業がどうかなったとしても、妻は私についてきてくれるなあ、と思いました。夫婦でまた一からやり直せばいいと腹が座り、「命があればなんとかなる」という気持ちに変わりました。
会社の再建計画を作って、取引先に行き説明しました。「倒産だけはしないで下さい」と言われ、11月から返済するという条件を、受け入れてくれました。奇蹟と思いました。私情雑念を捨てることができたのは、家内の一言でした。本当に前向きになりました。清川先生から、倫理指導の手紙が届きました。それには、「①日の出とともに太陽に挨拶、②会社へのあいさつ、③社内のトイレ掃除、④書類の整理整頓、⑤会社周辺の清掃」など5項目倫理指導が書かれており、翌日の早朝から一生懸命に行いました。
一番最初に太陽を拝んだ時に、涙がボロボロとこぼれました。なんで出たのかわかりません。その後エネルギーが湧いて出てきたことがわかりました。それから、止まっていた頭が回り始め、この苦難を乗り越える知恵がどんどん湧いてきました。10日くらい経って、私のお客様の紹介で、ある商社が訪ねて来て弊社の在庫(約2000万)を一時に買うということになり弊社は救われました。これは奇蹟です。奇蹟が起こったのです。(以下省略)
この文章は、講話者の了解を得て掲載しています。