熊本県倫理法人会

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11月17

【水俣芦北】門田保則・熊本県幹事長がMS講話

熊本県 水俣芦北倫理法人会モーニングセミナー

11月16日のモーニングセミナーでは、熊本県倫理法人会 門田保則・幹事長((有)橋本建設 代表取締役)が、「『たましい』を磨くためには」をテーマに講話を行いました。倫理によって救われた人のお手本のような倫理体験でした。以下は講話の抜粋です。

・私は昭和387月生まれの59歳です。8人兄弟の長男として生まれました。玉名工業高校土木科を卒業して昭和574月、地元の建設会社に就職しました。そこで17年間勤めましたが、平成11年、会社が倒産し経営者は夜逃げされました。その年に、橋本建設の初代社長から誘いを受けて橋本建設に入社して働くことになりました。

・そこでは技術者がいなかったため、私は好待遇で働かせていただきました。ところが、169月、初代社長が急死され、社長の奥様が2代目社長に就任。しかし、2代目社長の奥様は体調不良により私に社長を引き受けてほしいと依頼され、174月、私が代表取締役に就任することになりました。

・社長になって右も左もわからないとき、尊敬する同業の先輩が会社に来られて一枚の紙を渡されました。「社長就任祝いたい、ここに印鑑を押して」と言われて押印しました。それが倫理法人会の入会申込書でした。そして、「いい話が聞けるから」とモーニングセミナーに誘われ、毎週車で自宅まで迎えに朝5時半前来られるようになりました。

・モーニングセミナーは、最初びっくりしました。すごく元気でテンションが高すぎて、数回参加したら辞めようと思いました。しぶしぶ参加しているうちに、私の心の中に響くものがありました。万人幸福の栞第5章の「夫婦対鏡」です。実は、その時妻とは別居状態でした。

・過去にさかのぼりますが、当時夫婦と子供二人で暮らしていましたが、台風災害のため100年以上経過した実家が住めない状態になり、私の独断で、私の両親と幼い兄弟がいる実家を建替え転居して同居し12人で生活することにしました。私は以前から暴言や暴力をふるう父親が大嫌いでした。だから、いつも仕事を優先してしまい帰宅が遅くなっていました。すると、帰宅するや否や妻から、家の事父の事母の事をぶつぶつ言われました。私は妻の話を聞いてはいつも、「しっかりせんか」と言って妻をせめていました。家の片隅でしくしく泣いていても「しっかりせよ」と責めていました。ある日、妻が寝れなくなり顔も覇気がなくうつ状態になり、このままでは自殺するのではないかと思い、実家に戻しました。

1か月ほどしたら、実家からも出て行ってしまい、電話にも出なくなりました。私は、それでも妻を責め、妻が家にいないということを誰にも相談できませんでした。

・そうした中で、荒尾市倫理法人会の専任幹事を受けて、192月の富士研に参加しました。富士研ではじめて倫理指導を受けました。その時私は、「妻と別居状態であり、別れた方が妻の為と思います」と話しました。すると、「バッカヤロウ!」と怒られ、びっくりしました。「夫婦は産み出だしの元だよ。あなたは父親と母親を尊敬していますか」と聞かれて、返事に困りました。

・指導員から「①先祖の墓参りをしなさい、②父親と母親の足を洗いなさい、③奥様を信じ切りなさい」と言われました。帰ってから母の足を洗ったら母は泣いていました。父の足は温泉に連れて行って、背中を流してから足を洗いました。二人とも小さくなって、肌がカサカサでした。そして、妻の母方の墓が隣町にあるので、墓の周りをきれいにしたり墓石を磨いたりしました。

・しばらくして、妻と妻の母が時々自宅を訪問してくるようになりました。その頃、私の父親にも変化があり、母の介護を手伝うようになっていました。そして妻を笑顔で迎えてくれるように変わりました。平成2512月、妻がスーツケース1個持って帰ってきました。出て行った時と同じ姿でした。10年間どこかに旅行に行っていたような感じでした。

・倫理の学びを通して家族が大きく変わって来ました。私は妻を信じるようになりました。以前は信じていなかったのです。社員も信じていなかったことに気づきました。今は、社員も信じるようになり、来年は会社の60周年を迎えるにあたり、事業を承継する予定です。ご清聴ありがとうございました。

この講話文は、講話者の承諾をいただいて掲載しています。