【水俣芦北】西牟田孝也・光の森倫理法人会幹事が講話
テーマ:「諦めないを諦めない」
令和8年4月1日(水)の経営者モーニングセミナー(MS)では、光の森倫理法人会の西牟田孝也・幹事((有)九州食肉産業代表取締役)が、「諦めないを諦めない」をテーマに講話を行いました。西牟田氏は馬刺し屋の二代目としてお店を継承して、事業拡大と資金繰りで波乱万丈の半生を送られました。足元で必死にもがきながらも、笑顔で明るく報告される姿に感動しました。以下は講話の抜粋です。

・1968年5月26日、熊本県山鹿市生まれ。小さいころから、遊び場は馬刺し屋の店の中だった。小学校2年生くらいから手伝い、6年では馬刺しを切っていた。中学では店の仕事をするのが当たり前でした。
・高校1年の時、父の会社が倒産して約2億円の負債があった。それから家族がばらばらに生活するようになった。高2のときにアパートを借りて両親と住むことができた。友人のところでアルバイトをして働いたが、お金は全部生活費に消えた。
・父と母は、青果市場の転送で生活していたが、やがてまた肉屋をするようになった。私は、19歳の時に本気で馬刺し屋を始めた。馬を集めないといけないので、牧場を購入した。馬刺し屋も2軒目3軒目と増やしていったが自転車操業だった。やがて資金繰りに苦しみ、小切手を割るようになった。
・私は、32歳で実質的社長になった。隣にスーパーができて店を撤退したりしたが、次第に小切手が膨らんできた。35歳の時、長女を交通事故で亡くした。賠償金を全部会社に打ち込んだけれど、半年後にはまた小切手を割るようになった。不渡りを5回出してしまい、銀行取引停止になる。
・終わったかな?と思ったが、諦めないで店を開け続けて営業を継続して日銭でお支払いをした。粘り強く返済を続けて、8年で負債がゼロになった。ここで学んだことは諦めないということ。無理と思ったらダメだった。取引先に甘えさせていただいて、そのまま続けたことが良かった。
・50歳になって、新たな苦難が訪れた。車検切れのトラックに乗って事故を起こし、免許をなくした。1回目は執行猶予付だった。10か月経過し、あと1か月で免許が取れるというときにもう一度つかまってしまって実刑になってしまった。6か月服役した。
・振り返ると、自分にウソをついていた。「仕事のために仕方がないのだ、しなければならないのだ」と自分に言い聞かせてトラックを走らせていた。遵法の精神は必要である。今では自分が法を守ることによって、自分も法から守られることを理解することができる。倫理法人会に入るまで、「苦難福門」という言葉も知らなかったが、自分は時間をかけて諦めずに事業を続けてきて、その言葉の意味を体験していたと思っている。
・古い店を新しくしたいと思って銀行に融資をお願いしたが、なかなかまとまらなくて苦労した。熊本地震の後で、H銀行さんは、引いていかれた。D銀行さんに相談したが、状況説明のため私に会いに来られた。ルーロ合志の自販機の前で1時間説明して融資を断られた。ところが、すぐ傍で座っていた男性が突然私の前に現れて、「すみません、今のお話をたまたま聞いてしまいました。私がまとめますから」と言って融資をまとめてくれた。K信用組合の人だった。まさに「捨てる神あれば拾う神あり」で、驚いた瞬間だった。
・おかげさまで土地を購入することができ、現在の建物をたてることができた。父が他界してしまい、その建物を父に見せられなかったことは残念である。売り上げも順調に伸びて、福岡空港からも出店の依頼が来ている。41年かけてここまでくることができた。
・あのとき、あきらめていたらどうだったかを考えるが、どこかで手伝ってくれる人がいるものである。だから常に手をぬくことができない。諦めないのはきつい。きついからこそ未来がある。
・お客様のために、良い品物を一生懸命用意して出して来た。お客様の「うまい」のためにだけやりたい。「うまいね」と言われるように事業を続けて行きたい。ネガティブに言われると燃える人です。ご清聴ありがとうございました。


