【水俣芦北】石本博之・県南副地区長がMS講話
テーマ:「終始一貫」
令和8年3月11日(水)の経営者モーニングセミナー(MS)では、熊本県倫理法人会の石本博之・県南副地区長(い草工房みゆき(株)取締役)が、「終始一貫」をテーマに講話を行いました。平成29年に倫理の学びに出会ってからの「有言実行」の行動に圧倒的なパワーを感じました。以下は、講話の抜粋です。

・昭和34年9月3日、八代市平和町生まれ。父は、70年前、干拓地であった平和町に入植していらい、い草栽培に頑張っていた。私は中学時代から、父の仕事を手伝っていた。八代農業高校では、お米やい草に関して学んだが、先生以上に知識があったと思っている。
・私が高校を卒業したあとまもなくして、父はい草の仕事を私に譲った。農作業は、全部私に任せてくれた。私は23歳のとき、当地で一番広い面積の土地でい草を栽培するようになった。誰にも負けたくない気持ちで働いた。
・しかし、い草が中国から輸入されるようになって、地元のい草農家は打撃を受けた。30数人の自殺者が出たほどだった。自分は売り先を開拓していたので、大きな被害は受けなかった。ところが、父親が40代で脳血栓、くも膜下出血、脳梗塞の病にかかり、母親が父の看病をするようになったので、い草栽培をだんだんやめざるをえなくなった。
・中国のい草生産地を視察に行った。見渡す限りい草であり、「日本のい草が負けるはずだ」と思った。そこで、農協(JA)を脱退して中国のい草を輸入する仕事を始めた。1年目は良かったが、2年目は、ブローカーに根こそぎやられてしまった。当時のお金で800万円ほどであるが、地獄のような生活をせざるをえなかった。
・父には言えず、妻と子供に「質素倹約・戒厳令」の生活をお願いして、3年間早起きして働いて、働いて、働きまくった。
・平成19年からは畳表問屋として「やつしろおもて株式会社」の営業を開始した。施工の仕事も始めて、熊本県下一円を営業して回った。その時に出会ったのが、八代市内にある建設会社・藤永組さんだった。この時に八代市倫理法人会を紹介され、入会した。
・『万人幸福の栞』にはいいことがたくさん書いてあり、モーニングセミナーの講話もいいお話ばかりだった。勧められるまま、すぐに「富士研」(富士高原研究所の2泊3日の研修会)に参加した。そこには全国から経営者が集まっており、自分が「井の中の蛙だった」ことに気づいた。
・富士研で出会った人が毎朝4時に起床していると聞いたので、帰りの飛行機の中で「俺は毎朝3時半に起きる」と決めた。そして、「栞を学びたければ、家庭倫理の会の【朝の集い】で教えている」と聞いて、連れて行っていただいた。
・【朝の集い】は、午前5時から始まるので、私の生活にぴったりだった。それから毎日休まずに1000日通った。今も倫理法人会に行く以外は、ずっと【朝の集い】に通っている。
・『万人幸福の栞』第13条に「最も大切な、わが命の根源(もと)は、両親である」と書いてある。子供の頃は、「私は父のようになる。家に父の銅像をつくる」と作文に書いたほどに父を尊敬していたが、大人になって<俺が家族を養ってやっている>とずっと思っていた。このことに気づいてから、毎日、父のいる施設に通うようになり、2年間続けた。父が生きているときに、それができたのは『万人幸福の栞』のお陰である。
今日のテーマである「終始一貫」は、大好きな言葉。父が、「ずっとすること、止めてはいけない」と言っていた。栞には「終始一貫ということは、成功の秘訣である」とある。父の教えと栞の教えがぴったし同じだったので、間違いないと思った。
・熊本のお米を仕入れて販売するようになってからは、売り上げが伸びてきた。人の喜び我が喜びとしている。消費者に喜んでもらうことはもちろん、米の生産者にも喜んでもらう。それを続けたら、絶対に凹むことはありえない。自分が損しても生産者に喜んでもらう。すると、生産者が宣伝してくれる。
・会社は大きくしない。売り上げを伸ばそうとしたら、低温倉庫を造ったり、人を増やそうという気持ちになりやすい。欲が出てくる。私は周りの人たちが喜ぶことをしたい。ご清聴ありがとうございました。


