【水俣芦北】生駒ちあき・水前寺倫理法人会幹事がMS講話
テーマ:「良きも悪きもありがとうー運命自招ー」
令和6年10月2日(水)の経営者モーニングセミナー(MS)では、水前寺倫理法人会の生駒ちあき・幹事(㈱アクアファミリー代表取締役)が、「良きも悪きもありがとうー運命自招ー」をテーマに講話を行いました。波乱万丈の人生の中で苦難に挑戦し幸福をつかみ取ってこられた事業体験にびっくりするとともに、とても大きな力を与えられました。以下は講話の抜粋です。
・私は1965年、宇城市出身。地元の高校でアルバイトをかけ待ちしながら学び、卒業後は美容商品販売会社に就職。営業の仕事で九州管内の繁華街を歩いて回り、トップクラスの成績を上げていた。母が「苦労は買ってでもしろ」と言っていたことばを素直に受け止めていた。
・24歳の時に16歳年上の2代目社長と結婚した。理想の結婚とは程遠く、ケンカが絶えなかった。「私はここに何をしにきたのだろう」と毎日思う日が続いた。「男は子供を産んだら変わる」という言葉に期待をもっていたが、翌年出産した際「女の子が生まれたよ」と夫に電話したら「は、オンナ!?」と言われた。それが本当にショックですごく落ち込んだ。
・その後、夫は不動産の仕事を手掛けた。夫は買って来ては、私に「管理しろ」と投げてきていた。すべては借り入れだった。私はストレス満タンで相変わらずケンカしていた。女性問題、酒乱、時には警察沙汰になったりして、数年は頑張ったがくたくたになり、離婚を決意した。
・主人が離婚届を書いたその翌日、主人は倒れた。口もきけない、体も動けない。命はとりとめたが、離婚どころではなくなった。この人をもう一度社会に復帰させると決意、離婚はお預けになった。
・会社の方は、同じような仕事をしていた主人の兄弟が代表者に変わり、経営を交代した。代わりにやっていただいたが、仕入れ資金が膨らんで主人が復帰した時には、すごい状態になっていた。夫と私はその仕事から退いた。その時一棟だけ私に与えてくれたので、ローンを組んで元夫の物件を購入した。
・私と娘の「ゼロからの出発」が始まる。生命保険を解約して、60万円をにぎってアメリカへ行き、古着を仕入れて熊本で販売する仕事を始めた。当時は古着屋さんがブームだった。私はさらに古着屋を5店舗から6店舗に増やして事業を拡大することができた。
・すると元夫から何度か呼び出され、「競売物件を買ってくれ」と言われた。本業から離れていたが、保証人になっていたため、負債が元夫と私にやってきた。元夫と心中したくなかったが、銀行に行って4億5千万円の借り入れを頼んだ。幸い銀行が貸してくれて競売は取り下げられた。
・現金収入がないと返せないと思い、空いているテナントに飲食店を開業して働いた。朝から晩まで仕入れ、仕込み、掃除など364日働いた。飲食店は3店舗になり、見事ににぎわってくれた。当時は「2次会ブーム」があり、売り上げが伸びて返済が叶っていた。スタッフは20人になっていたが、10年後にきっぱり止めた。それから1年後にコロナがやってきた。
・しかし、私は肝心なことを怠っていた。結婚した後、自分を被害者にしていた。元夫を責めるだけ責めて、なんで私を大切にしてくれないのかと、思い続けていた。この私のひねくれた思いが、夫婦不和にしていた。「お早う」も「お疲れさま」も言ったことがなかった。家庭を顧みない我儘な夫に私は優しい言葉をかけることができなかった。この境遇は、自らが作っていた。今は亡き夫に感謝している。
・私は、1年9か月前に倫理法人会の事務所を訪ねた。その前同僚の希望で1年間入会していた倫理法人会を退会するためだった。ところが、退会を止めない会長の姿に「心が違う」と感動して「学ばせてください」と話した。その時から、私は倫理を学び始めた。もっと早くからMSに参加しておけばよかったと思う。
・夫婦、親子、人間関係などについて、これを学んでおけば怖くないと気づいた。気づいた時がきっかけで年齢は関係ない。私が『万人幸福の栞』を読んでいたら、母親が「自分の小さな栞の本と交換してほしい」と言った。私が小学生のころ朝起き会に通っていたのだ。私は、ここにたどり着くようになっていたと思う。
・私は倫理の仲間と今の境遇に感謝している。そして自分の命と肉体に感謝している。自分を大切にしないと人様を大切にできない。苦しいときは、倫友に相談する。栞を読めば必ずヒントがある。ご清聴ありがとうございました。この講話文は、講話者の承諾をいただいて掲載しています。