【水俣芦北】大野貴子・熊本市南副専任幹事がMS講話
熊本県 水俣芦北倫理法人会モーニングセミナー
令和5年5月17日のモーニングセミナー(MS)では、熊本市南倫理法人会 大野貴子・副専任幹事((株)テンジン 代表取締役)が「『simple is best』~倫理で学んだ『これでよし!』」をテーマに講話を行いました。
・私の父は金融業をしていて、業績が良いときは羽振りが良かったが、交通事故に遭ってから人間が変わった。周りと比較して貧しい生活をしていた。父が〝転落”してから、暴力がひどくてちゃぶ台を毎日ひっくり返していた。私は、毎日後片付けをしていたが、とにかく父が怖くて、口をきいたことがなかった。私のミッションは、「母を守ること」と思い続けていた。
・公立高校を卒業してすぐに某化粧品メーカーに就職した。女性の訪問販売の老舗で、私の母の世代の人たちが数千人いた。一本筋の通っている年上の女性たちを私が指導する立場で働いている中で、高校卒業の新入社員は珍しくてとても注目されているので、毎日緊張しながら仕事をしていた。
・私は本来おおらかな伸び伸びした性格だが、家庭環境と職場の人間関係から「下手なことはできない」と思い込み、窮屈さを感じながらも、仕事は楽しかった。
・数年後、ホテルやゴルフ場を相手に営業をする部署に異動になり、会社が初めて興した部署なので自分の好きなように仕事をすることができた。毎日飛び込み訪問をした。会社の名前を知っている人は多く、門前払いはほとんどなかった。1回目の飛び込みで契約ができたので味をしめ、この部署もとても楽しかった。
・ゼロからスタートした事業部が一目置かれた部署になり、私の名前も知られるようになった。とても励みになり、夜の10時、11時まで働いていた。仕事が好きだったので、働かされているという感覚はなかった。しかし、だんだん疲弊してきていた。
・その後、会社で組織編制があり、それを機に思いきって退職、小さな事務所を構えた。
・IP電話の営業のほか、ネット回線の獲得、インターネットの設定も頼まれるようになる。私はアナログなので、出来る人を探して全国のパソコン教室などに連絡して仕事を増やしていった。さらにホームページの仕事が出来る人を雇い、気づいたら最大で60人の従業員に増えていた。
・社員の中で「この人は大丈夫かな?」という人がいた。仕事は任せていたが、心の中では疑っていた。ものの見事に裏切られ、大好きな社員を何十人も持って行かれた。私の言動から、「信用されていない」と相手に伝わっていたと思う。残念で涙が止まらなかった。そういうトンネルの中に長い間入っていた。
・そうした中で、MSに通い始めた。行くと、当時の会長から「来るの遅いですよ」と言われた。5分前に行くようになったら、会員の方とも話ができるようになった。私は本当に自分本位だった。それから会社でも、真剣に人の話に耳を傾けるようになった。考えが違う社員も受け入れ、先手の明るい挨拶を実践している。また大嫌いだった父親の墓参りに行く実践をするようになり、「お父さん」と話しかけることができるようになった。
この講話文は、講話者の承諾をいただいて掲載しています。