【水俣芦北】田中正一・会員が講話「感謝とターニングポイント」
熊本県 水俣芦北倫理法人会モーニングセミナー
12月14日のモーニングセミナーでは、水俣芦北倫理法人会 田中正一・会員((有)野坂屋旅館 代表取締役)が、「感謝とターニングポイント」をテーマに講話を行いました。以下は講話の抜粋です。
まず野坂屋旅館について話します。明治12年創業で、私は5代目になります。4代目の父が昭和52年、明治の建物を壊して自分が設計して建設し、有限会社野坂屋旅館として創設しました。
私は厳しい祖母にしつけられながら恵まれた環境で育ちました。中学・高校は熊本市内のマリスト学園で学び、高校の時に家を継ぐ決意をしました。二十歳ぐらいの時に、今の女将に交際を申し込み現在まで夫婦をさせていただいています。
料理学校に住み込みで入り、10年くらい和食・洋食・中華料理の修業をしました。30歳の頃に旅館を継ぎました。父は、マイクロバス2台、茶わん300セット、お布団などを購入したり、お風呂を整備したり、15年間で1.5億円位の設備投資をしてくれました。全部借金なので、私は30から45歳まで借金の返済がありました。
それが過ぎると、旅館で結婚式を挙げる人が少なくなりました。このため、節句や法事、宴会などを頑張ってきました。ところが法事も人数が少なくなりました。自然と売り上げが落ち、経費がかかる状況になりました。
そのうちにコロナになり、「学校に行かないでください」という当時の総理の発表があってから、キャンセルの電話が鳴り始めました。キャンセルだけで2000人を越えました。従業員もかなりいたので、維持費が半端ではありませんでした。コロナは2年以上続くと聞いていたので、このままでは絶対経営を続けていけないと、私が最初に弱気になりました。
芦北・人吉・球磨の水害では、旅館をはじめマイクロバス2台を含む車5台が全部ダメになりました。大阪にいる友達が、「中古17年の車で良かったらあげるよ」と言ってフェリーで来て2か月半ボランティアに来て手伝ってくれました。数百人の方がボランティアで手伝ってくれたのは、有難いことでした。テレビでインタビューを受けた時、復旧の目途は立っていなかったです。
私は、佐敷が大好きです。17年間芦北町から出ていたので、さらに佐敷が好きになりました。夜逃げはしたくない、どうすればいいか。迷惑をかけないためには、旅館を売ることや店を閉めることも考えました。
最初は、薩摩街道通りの旅籠(はたご)、そして、旅籠と下宿、次に結婚式…など時代と共に変化をして野坂屋旅館は生き残ってきました。友人からいろいろなアドバイスをいただき、その中で岡山県にある「わんこ日和」の宿があり、人気で予約が取れないと聞きました。妻と泊まりに行って、「こういう仕事ならやれるかもしれない」と、私と妻とようやく同じ方向を向くようになりました。
この話をやると決めてから、10年間帰って来なかった息子が出て来るようになりました。水害の時から、いろいろ手伝ってくれるようになり、来年1月に「湯浦温泉 別邸わんこ日和」がオープンするのを間近に控えて、ようやく息子と調理場に入り、料理の仕込みや片付けを始めています。10年前に話していたことが実現されつつあります。今から親子3人で一生懸命頑張っておもてなしをすることで、日本でも有名な「別邸わんこ日和」にしたい。それが次世代につなげる唯一の手法だと思っています。皆様のご縁でここまで来れたことについて感謝しています。ご清聴ありがとうございました。