熊本県倫理法人会

096-288-9398

お知らせINFORMATION

9月23

【水俣芦北】吉田龍生・幹事がMS講話「生きて来た道」

9月21日のモーニングセミナーでは、宇土市倫理法人会 吉田龍生・幹事((株)スタイルトップ代表取締役)が、「生きて来た道」をテーマに講話を行いました。以下は、その抜粋です。

・宇土市生まれ、宇土市育ちの39歳です。私が小学校3年生の時に吉田家に大事件が起こりました。母親が家を出て行きました。父親も家に帰らない日が多く、弟と二人で苦労の生活が始まりました。

・小学4年生の時にボクシング教室に関心を持ち、初めて行ってさらに興味を持ちました。5年になって異動になってきた担任の先生がボクシングの経験者で、小学校にボクシング部を作りましたので、すぐに入部しました。部員は弟と私の二人でしたが、とても楽しかったです。5年生、6年生の時はそれだけが楽しかったのを覚えています。

・中学校ではボクシング部がなかったため、小学校の先生から高校のボクシング部を紹介してもらい、中学校1年生の時から、高校のボクシング部に迎えていただき、毎日練習に通いました。私は、日ごとに強くなっていきました。

・高校は勉強していなかったので心配しましたが、幸い熊本農業高校のボクシング部の先生が推薦で私を引っ張ってくれて入学することができました。日本一になるため一生懸命練習しました。

・高校1年、2年の時にそれぞれ熊本県大会の決勝までいきましたが、優勝することはできませんでした。このままではいけないと反省して、9kmある学校までの道を走って通学し、昼休みは縄跳びを練習して体を鍛えました。さらに下校したあとも家の近くのボクシングジムに行き、練習して高校3年生のインターハイに臨みましたが、決勝戦で判定負けでした。これだけ練習したのに、新聞に名前も載らなかったのでメチャクチャ悔しかったです。

・卒業してからパチンコ店で仕事をしながらジムで練習しました。1戦、2戦と戦い勝ち進み、4勝無敗になって新人トーナメントに挑戦し、日本一になりました。職場の私への対応が変わるかと期待しましたが、意外に冷たい反応でした。練習の為休みがちだったので店長から評価してもらえませんでした。

・怪我で1年間休んだため、ランキングになかなか入れなくなりました。職場でも後から入社した後輩がどんどん出世していき面白くありません。そうした中で、4階級上の無敗の選手と戦い勝つことが出来て、やっと日本のランキングに復帰しました。その時に、「二兎を追うものは一兎を得ず」だから、パチンコの仕事を辞める決意をしました。

・その決意した直後に恩師から電話があり、「ダンスホールに貸していたホールでボクシングジムをしないか」と言われ、運命と思い、決断しました。ジムをオープンして最初3人からスタートしましたが、正式に会社を退職してジム1本に絞り、今日に至っています。

・令和34月、倫理法人会に入会しました。モーニングセミナーで人生の失敗や成功談を聞いて、自分の為になると気づいてから毎週行くようになりました。以前は気が荒く暴れたりすることもありましたが、倫理のおかげで暴れることもなくなり、少しは成長したと思っています。「苦難福門」と言われますが、小学校の時から苦労して来たおかげで今の私がある、と感謝しています。ご清聴有難うございました。

この講話文は、講話者の承諾を受けて掲載しています。