【水俣芦北】西田紀雄・法人レクチャラーが講話「倫理の学びに感謝」
「私が倫理にふれていなかったら、今ここに生きていません」
4月13日(水)のモーニングセミナーは、法人レクチャラー、熊本市西倫理法人会 西田紀雄・相談役(西田硝子㈱取締役会長)が、「倫理の学びに感謝」をテーマに講話を行いました。以下は、講話の抜粋です。
私は、昭和15年生まれの82歳です。もし、私が倫理にふれていなかったら、今ここに生きていません。50歳過ぎてから倫理に出会いましたが、それ以前の私は100パーセント夜型の人間でした。倫理を学ぶと朝型の人間になり、ストレスがなくなります。
大学を卒業後、東京のガラス専門店に丁稚奉公に入りました。当時アメリカでは、一軒に一台車があると聞いて、父が経営する硝子の会社で車のガラスを取り扱うようにしたら良いと考えて仕事を覚えました。熊本に帰り、車のディーラーに話をしたらたくさんの仕事を任せてもらうようになりました。時代に乗って売り上げも伸びて、社員も増えました。
ストレスで胃袋に穴が空くほどの苦難を体験
新入社員を私が束ねていました。ある日、みんなでキャッチボールをしていると社長の父が来て「掃除をしなさい。道具をちゃんと片付けなさい」と小言を言われました。その時、私は父に「うるさい、馬鹿野郎、引っ込んでいろ」と言ってしまい、会社を辞めることにしました。
その後番頭格の社員と二人で別の会社を立ち上げて、同業の仕事を始めました。しばらくして裁判所から「類似の商号違反」として呼び出され、裁判になりました。裁判長は、私達が親子であることを確認した後、裁判を打ち切りました。そして、裁判長室で判決を言われました。「息子は、今日から屋号を変えなさい。父親は、息子の屋号を変えることになり満足だろう。裁判にかかったすべての費用をお前が面倒見なさい」と言われました。
それから7~8年後に父の会社に帰りました。父は相変わらず、明治生まれのモッコスでまったく変わっていませんでした。二度と親子喧嘩はしませんでした。父が亡くなってから会社を引き継ぎました。私の胃袋には親指の爪くらいの穴が空いていて、とても苦しかったです。それが若い時の私の苦難でした。
倫理指導での経験が、人生のターニングポイントになる
その頃、倫理法人会に誘われ、すがるような気持ちで倫理を学びました。すぐに富士研に参加しました。その時に、倫理指導を受けました。「万人幸福の栞13条には『親孝行できないような人間はまともな仕事はできない』とありますが、私はもはや親孝行できない、どうしたらいいでしょうか?」と聞きました。回答は、「30km離れた所に納骨堂があっても、すぐに近くにお墓を作りなさい。そしてお父さんのいいところを100個書きなさい」と言われました。
私は、「無理です。悪い所なら100個あげられるが、いいところは無理」と言いましたが、人間は悪いところが長所の場合もあると諭されました。「頑固は、信念がある」、「すぐにげんこつが飛んでくるは、即行の人」などと長所に変わりました。この時の経験が、我が人生にとってはターニングポイントになりました。
それから毎週モーニングセミナーに通うようになり、幹事、会長などを経験しました。今では、何でも前向きにとらえ、「これが良い」「ありがとう」と受け止めるようになりました。「これが良い」は、丸山敏雄先生の魔法の言葉です。