【水俣芦北】心の専門家・高原あきこさんが講話
令和4年3月9日(水)経営者モーニングセミナー
3月9日(水)のモーニングセミナーは、玉名南倫理法人会 高原あきこ・会員(高原あきこ後援会)が、「人生神劇―様々な人達との出会いを通して」をテーマに講話を行いました。以下は、講話の抜粋です。
私は、福岡県博多生まれで、20年前から熊本に住んでいます。今までの人生の中で色々な方に出会い影響を受けてきました。小学5年生のときに、母が病気になり、どんどん足が悪くなり、寝たきりになり、私が中学3年生のときに亡くなりました。私は、母のケアをしながら学校に通いました。今思えば、ヤングケアラーの体験をしました。
大学のときに友人から紹介されて、自閉症(発達障害)の子供と一緒に遊ぶボランティアに行くようになりました。ある日、自閉症の子供が私の所に来て、私に肩車をしてほしいと肩の上に乗ってきました。何度も要求されすごくうれしくて、一緒に遊ぶのが大好きになりました。そして、そのサークルにのめり込んでしまい、私の人生の最大の転機になりました。
臨床心理士として、心の支援の仕事に取り組む
大学を卒業して、自閉症の人たちが入っている福祉施設に就職しました。しかし、専門の知識を勉強していなかったので、そこの仕事をやめて大学院に入り、障害児の心理とケアの技術を修得するために幅広い知識を学びました。そして、臨床心理士という資格をとり、心の支援の仕事に取り組みました。
平成4年、福岡県で植樹祭があり、当時の天皇陛下と皇后さまが障がい者施設に慰問に来られました。ちょうど私が3歳の子供をリハビリしている時にそばに寄って来て下さり、私にもお声をかけられ「子供たちのためにお励みください」と言われました。そのお声を聞いて、温かくてやさしくて心からのことばだとわかりました。私は、一生臨床心理士としての資格を生かした仕事で子供たちのために生きようと誓いました。
その当時、世の中で社会福祉士が国家資格になり、教える人がいなくて私に大学で教えるようにというお話が来て、北九州大学や長崎大学、熊本大学で臨床心理学・障害児心理学の研究と教育に携わることになりました。
11年前の3月11日に東北大震災があり、私にとって大きな出会いがありました。東北大学の発達障害の教育をしている友人から「助けて!」という電話があり、研究室がメチャメチャになり、パソコンも使えなくなり友人は困っていました。私は、資料を送ることから手伝いを始め、1週間以上現地に行って彼女の手伝いをしました。津波から1か月以上経過していましたが、仙台空港はまだ海の臭いがしていました。私は、津波で亡くなった方々のために祈りながら、「自分にできるだけのことをしていてはいけない。もっと国のために頑張らないといけない」という気持ちが芽生えてきました。
「もっと国のために頑張らないといけない」
その後、熊本地震もあり、大水害もありました。そのような自然災害後にはPTSD,心の傷、ストレス、うつなどになる方が多く、心の支援の重要性を強く感じています。しかし、そのような心の支援をする専門家が国会議員として一人もいないことがわかりました。私は、3年5か月前に大学を退職して、心の支援を代弁する政治家になる決意をしました。
倫理法人会には、大学教授の時代にゲストとして呼んでいただき、講話を何度かさせていただきましたが、昨年玉名南倫理法人会に入会させていただき、全国のいろいろなところで会合に参加させていただいています。
今まで色々な方に出会い、人生をかける仕事を得ることが出来て、ことし初めて挑戦をします。どうなるかわかりませんが、後悔のない人生を生きていきます。出会った方に感謝しながら、心身健康で私ができることをしていきます。「働きは最上の喜び」、仕事をしたら健康になります。本日は、お話を聴いていただき、ありがとうございました。
この講話文は、講話者のご承諾をいただいて掲載しています。