熊本県倫理法人会

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11月11

【水俣芦北】牧瀬正和・法人レクチャラーが「経営者の集い」

令和3/11/9(水)熊本県 水俣芦北倫理法人会 「経営者の集い」

テーマ=「社員の声に耳を傾ける」

「経営者の集い」では、佐賀県倫理法人会 幹事長 牧瀬正和・法人レクチャラー(ヤマトカンキョウ(株) 代表取締役)が、「社員の声に耳を傾ける」をテーマに会社の事業体験報告を行いました。以下は、講話の要旨です。

私は、福岡の大学を卒業した後、大阪の会社に就職しました。5年勤めたころに、父がストレスで顔面マヒになり、父に請われてすぐに帰郷しました。27歳でした。総務課長という立場でしたが、仕事は「自分で考えろ」と言われて、汲み取りや下水処理メンテナンスなどの現場まわりもしながら仕事の把握をしていました。入社して2年目に、社内に不穏な空気が漂ってきました。

労働組合が結成され、団体交渉始まる

同じ部署の3人が同時に休んだと思うと、突然その3人が見知らない人たちと私服で会社にきて、労働組合を結成したという通告文と6項目の要求書を渡しました。①基本給を一律3万円上げる、②定年を5年延長して65歳にする、③土日は休みにして完全週休二日制にすることなどが書かれており、団体交渉が始まりました。

父と母と私が会社側で対応することになり、交渉は8か月ほど続きました。父は感情的になり、キレてしまうので、相手の思うつぼにはまっていきました。彼らは近くの空き地で集会を開いて、拡声器でシュプレヒコールをあげたり、チラシを配ったりしていました。最終的に父は「もう無理!」と会社の解散を決めました。

私は、この業界から逃げようと思い転職も考えましたが、5日後に創業者である祖父が眠っているお墓にふらふらと行って、会社の解散を報告しました。そして一晩会社の応接室で過ごしていました。そのまま朝を迎えて、父の所に行き、「会社はつぶしてはいけないと思う。自分がやるからやらせてほしい」とお願いしました。父は、「ダメだ。お前が苦労するだけだ。話が通じる相手ではない」と言って反対しました。しかし、そばにいた母は「息子がそこまで言うのだから、やらしたら」と泣きながら言ってくれました。

父はその日の朝礼で、「自分は会社の解散を決断して、今でも正しいと思っているが、息子が『継続させてくれ』と言ってきた。息子と一緒にこの会社をやってくれるなら継続しようと思う」と話しました。すると社員が「やります」と答えて会社は継続することになりました。この時父は社長を私に交替し、私はマイナスからのスタートになりました。ちょうど30歳でした。

私は、最初「父の敵をとってやる」という感情がありました。そして朝から晩まで一生懸命働いてもうまくゆかず、疲れるだけでした。そうした中で「職場の教養」をある方からもらい、倫理法人会に入会しました。倫理指導を受けたら、「社員の話を聞いてください」と言われ、それならできると思って、社員に話しました。しかし、忙しさにかまけて5か月ほどが過ぎてしまいました。

『苦難は、悪魔の顔をした応援団』

朝礼の後にベテランの社員がフリースピーチで、「社長と面談できると思って、こういうことをしたらもっといい会社になるというメモをノートに書いてきました。5か月経っても面談がないのでそのノートを破り捨てました」と話したのです。さすがにそれを聞いた私は、すぐに面談を始めることにしました。1日二人ずつ2か月で一巡します。今まで年に2回ずつ行ってきました。

面談してみて、社員は家のことでいろいろなことがあり大変な状況でも一生懸命会社のために働いてくれている。自分はずっと被害者意識が強くて社員に寄り添っていなかった、と初めて思いました。社長として、社員及び社員の家族が幸せになってほしいと思うようになりました。

労働組合に対する考えも当初に比べて変わってきました。賃上げをするためには売り上げを伸ばさないといけないので、彼らもいろいろなアイデアを提案するようになって団体交渉が経営改善会議のようになってきています。『苦難は、悪魔の顔をした応援団』ということばがストンと落ちてきました。これが、私が倫理法人会に入って一番良かったことです。ご清聴ありがとうございました。

この講話文は、講話者のご承諾をいただいて掲載しています。