12月04
「岩永醤油、水害復興について」水俣芦北MSで、岩永幸三社長が講話
2/12/2(水)熊本県 水俣芦北倫理法人会 モーニングセミナー
12月2日、水俣芦北倫理法人会のモーニングセミナーでは、水俣芦北倫理法人会 岩永幸三・会員(岩永醤油合名会社 代表社員)が、「岩永醤油、水害復興について」をテーマに講演されました。以下は、講話の要旨です。
水害状況から話します。7月4日早朝、携帯電話のアラームが鳴りました。防災避難勧告でした。私は、消防団に入っているので、消防で出かけないといけないと思いました。案の定、午前2時ごろ電話がかかってきて、「消防だから出て来てほしい」と言われました。玄関を出たら、消防車が待っていてくれました。土嚢を取りに行きました。管轄の地区で土地が低いところは、水がすでに来ていました。住宅街を長靴で歩いて行きました。長靴の上から水が入ってきて、足はびしょびしょでした。多くの人たちが深夜にもかかわらず起きていて心配そうでした。
近くにある、消防詰め所もつかり始めました。備え付けの発電機が水につかり始め、自分の会社の機械を思い出し、心配になって一度消防団を離れ醤油屋にもどりました。しかし工場はすでに浸水していて、息子を起こして、弟と私と3人で事務所のパソコンや帳簿などを避難させ始めました。コピー機も高いところに上げましたが、それ以上に水が来て、何にもなりませんでした。84歳の父も2階に運び、避難させました。結局、父親が寝ていたベッドも浸かりました。4日朝水が引いて、川向の友人も「どぎゃんなっとやろか!」と半分開き直っていました。今でも夢のような感じがします。
片付けに追われて、何をしていいかわからない期間が1か月ほどありました。水の支援やボランティアの方が「いるものはないですか」と訪ねて来られるようになり、文具を頂きノートを付けるようにしました。1ヶ月以上は、泥出しとごみの片付けに終始していました。
熊本市内の車屋さんが、安否確認も含めて「困っていませんか?」と言われて、すぐにトラックを1台持ってきてくださいました。うちの車はすべて水没しました。トラックが届いて、ゴミ出しなどとても助かりました。シャッター屋さんも町を見回りに来られて、サンダーで壊れたシャッターを開けていただきました。木樽が15個ありましたが、全部動いていました。地元の建設会社の方が重機で外に出してくれました。
最初から、何かわからないけどプラス思考でいました。「100年に1回大掃除をしろ!」と神様が言われているのだと思いました。この状況を発信しようと思いました。「人助けが必要!」ということを発信しないと、この状況はかわらないと、私の心の中で危機感を感じました。テレビや新聞の取材も受けました。支援物資やお見舞いに多くの方が来られました。有難いの一言です。
クラウドファウンディングを芦北町商工会などの勧めで始めました。業者の方とテレビ会議で3回ほど打ち合わせして、8月から9月にかけて行いました。このことが熊日新聞でも取り上げられ、目標以上の寄付が集まりました。醤油の老松(おいまつ)を9月下旬に発売し、配達もできるようになりました。3か月で回復したのは、早かったと思います。無事に発売出来てほっとしました。待っておられる方も多くて、出荷も多かったです。
テレビに出たりして復旧に頑張っていることを商工会の先輩に会った時にほめていただき、笑顔になりました。「私、困っています」と叫ぶことは、「受援力」(じゅえんりょく)という力だそうです。プラス思考で行動したことは良かったようです。(以下略)
この講話は、講師の了解をいただいて掲載しています。